ママ友がいない。それでも、いいかなと思っている話
親しいママ友が一人もいない。出産前後がコロナ禍で、集まりごとが消えたから。少し寂しい気持ちもあるけれど、今はこれでいいと思っている。
卒業アルバムの隣の人が、いまも私の節目にいてくれる
七五三、成人式、息子のお食い初め。節目のたびに衣装を無償で貸してくれる方がいます。母の高校の同級生で、卒業アルバムでは隣に写っているふたり。母がいなくなった今も、ご縁は続いています。
生後2か月の息子を、3日間乳児院に預けた話
息子が生後2か月のとき、保健師さんのすすめで市の乳児院に3日間預けました。当時の記憶は、ほとんどありません。眠れなかった日々と、雨の迎えの日。5年経った今、はじめて言葉にしてみます。
お風呂で呼び出された、母との古い記憶
シャワーが苦手な息子にお湯をかけるとき、手で温度を確かめている自分に気づきました。母が昔、私にしてくれていたことと同じでした。忘れていた記憶が、お風呂で急に戻ってきた話です。
父の日に、夫がしてくれていることを数えてみた話
父の日。義父には毎年、好きな麦焼酎を送ります。息子はまだ父の日が何なのかピンと来ていない様子。息子から見た夫はどうなのか。夫がしてくれていることを数えてみました。
息子の名前は、夫につけてもらった
息子の名前は、夫がつけました。私にも候補はあったけれど、あえて言いませんでした。少しでも息子に愛着を持ってほしくて。わが家の「名付け」をめぐる、ささやかな作戦の話です。
眠れなかった新生児期、小児科の先生がくれた1時間
眠れない新生児期、近所の小児科の先生が「少し休んで」と私を1時間ベッドで寝かせてくれました。生まれたころから支えてもらった地域の小児科への、感謝の話です。
ひとりっ子と決めた日。発達凸凹の息子と、私の選択。
8年かけて授かった息子。それでも私は、ひとりっ子で育てると決めました。発達凸凹の育児、40代の体、亡き母の生き方——たくさん迷った末にたどり着いた、わが家の選択の話です。
何度も転園を考えた。最後に答えをくれたのは、息子の笑顔だった。
息子の「居場所」を探して、私立保育園から公立保育園、そして幼稚園へと何度も転園を考えました。申し訳なさと迷いの日々。さんざん悩んだ末に答えをくれたのは、今の園で笑う息子の姿でした。
母が亡くなったあとに、息子を授かった話
長い不妊治療の末に授かった息子。でも、その子をいちばん喜んでくれるはずだった母は、もういません。「ばあばが生きてたらね」と、息子の顔を見ながら思う日の話です。
新生児の指を深爪した夜。完璧な母じゃなくていいと気づいた話
新生児の爪を切ろうとして、指を深爪してしまった。義両親の前で、血の気が引きました。「私、母親失格だ」と落ち込んだ夜。でも、そんな失敗もぜんぶ、母になっていく道のりでした。
8年待ったのに、産んだ瞬間「実感」がなかった話
8年間の不妊治療、体外受精7回。やめて2年後に自然妊娠して、40歳で出産しました。なのに——産んだ瞬間、不思議と実感がなかったんです。あの頃と今、5歳の息子を見て思うことを書きました。