息子の「居場所」を探して、わが家は何度も転園を考えました。
私立保育園から、公立保育園へ。
そして一度は、幼稚園への転園も決めかけました。
今日は、さんざん迷ったあの日々の話を書きます。
最初の転園は、3歳のとき
息子が最初に通ったのは、私立の保育園でした。
しっかりした方針の園で、息子には少し厳しい環境でした。
3歳のとき、加配の先生がついてくれる公立保育園に移りました。
息子のペースを見てもらえる。ほっとしたのを覚えています。
(加配保育を選ぶまでの話は、別の記事に詳しく書いています)
でも——その安心は、長くは続きませんでした。
「働いていないのに、申し訳ない」
信頼していた園長先生が、急に異動になりました。
息子は朝礼やお遊戯の輪に、なかなか入れませんでした。
そして、私の中にずっとあった気持ち。
保育園は、働く親のための場所。
仕事をしていない私が預けていることに、申し訳なさを感じていました。
傷病の理由で枠を頂いていたので、
診断書をもらいに病院へ通うのも、しんどかった。
「堂々と、預けられる場所はないだろうか」
そう思って、幼稚園や認定こども園への転園を考えはじめました。
迷って、迷って、決めきれなかった
転園は簡単ではありませんでした。
地元の幼稚園には「加配は対応できません」と断られました。
加配の先生からは「幼稚園はついていけず、ストレスになる」と反対されました。
母親の都合で、また息子の環境を変えていいのか。
何度も転園させて、申し訳ないんじゃないか。
誰に相談しても、違う方向を指さされる。
正解が、どこにも見つかりませんでした。
ひとりの園長先生の言葉に、救われた
そんなとき、義父母の家の近くにある認定こども園が、面談をしてくれました。
園長先生は、こう言ってくれたんです。
「小さい子が動き回るのは、当たり前ですよ。
お子さん、とても優秀じゃないですか」
涙が出ました。
診断書を、申し訳なさを、ずっと抱えてきた私には、
息子がそのまま肯定された、はじめての瞬間でした。
ここに移ろう。一度は、そう決めました。
最後に答えをくれたのは、息子だった
転園の手続きを進めながら、いつものように息子を園に送りました。
息子が——。
とても嬉しそうに、お友だちのところへ駆けていったんです。
楽しそうに、笑っていました。
その姿を見た瞬間、自然と涙がこぼれました。
胸が、締めつけられました。
迷っていたのは、私だけでした。
私は、転園をやめました。
🌸 優柔不断な母で、ごめんね
あれだけ迷って、決めかけて、最後にやめる。
優柔不断な母で、息子には申し訳ないと思います。
答えは決まりました。
「申し訳なさ」を消すために環境を変えるんじゃなくて、
私のほうが、働く道を探そう。
そう決めて、私はライターの仕事を始めました。
今、こうしてブログを書いているのも、あの日の決断の先にあります。
何度も、居場所を探して迷いました。
正解は、専門家でも、制度でもなく、
わが子の笑った顔の中にありました。
「ここでいい」と思えたのは、息子の笑顔を見たときでした。