息子が生後2か月のとき、市の乳児院に3日間、息子を預けました。

2021年3月のことです。

5年経った今も、誰かに話したことは、ほとんどありません。
今日は、はじめて言葉にしてみます。

🌙 預ける前の私は、記憶があまりない

当時の記憶が、あまりないんです。

あまり眠れていませんでした。
夫の夕飯は、宅配弁当だった気がします。

覚えているのは、お腹がすくこと。
母乳を出しているからか、食べても食べても太らない。何を食べても、すぐお腹が減る。

母乳を作るって、すごいことなんだと思いました。
体はそれだけのものを、毎日削って差し出していたんですね。

📱 深夜3時、消音のYouTube

授乳は3時間おきでした。

深夜の授乳のあいだ、YouTubeを消音で流していました。

✅️ 助産師HISAKOさんの動画
✅️ 海底で、ひたすらウニを割る動画
✅️ ポツンと一軒家の録画

どうしてウニだったのか、いまだに分かりません😌
でも、深夜のあの時間に無心で見られるものって、案外あれくらいだったんです。

🏥 保健師さんの、すすめだった

乳児院の話は、保健師さんのすすめでした。

自分から探したのではなく、すすめられて、預けることになりました。

決めたときの気持ちは、思い出せません。
思い出せないくらいの状態だったのだと思います。

🍼 3日間、搾乳機を握っていた

息子のいない3日間も、あまり記憶がありません。

覚えているのは、母乳のこと。

息子がいなくても、母乳はどんどん出てくるんです。
手動の搾乳機でしぼって、冷凍保存していました。

手動の搾乳機は、なかなかの重労働です。
休むために預けたはずの3日間、私は搾乳機を握っていました。

冷凍した母乳は、後日、哺乳瓶であげた気がします。

🌧 迎えの日は、雨だった

迎えの日は、雨の日曜日でした。

その日は市の職員さんが乳児院に来ることになっていたのですが、予定を忘れていたようで、なかなか来ませんでした。

かなり待って、やっと息子を連れて帰れました。

連れ帰るだけの日が、いちばん長い日になりました。

📞 「困ったら連絡ください」の、その後

担当者さんは、別れぎわに言ってくれました。
「夜寝なくて困ったら、連絡くださいね」

帰ってから数日後の深夜、夜泣きに限界がきて、電話をかけました。

電話口の向こうは、とても困った様子で。
「折り返します」と言われました。

しばらくして、市の職員さんから折り返しの電話が来ました。
その頃には、息子は寝てくれていました。

携帯の音で起こされて、悲しかったのを覚えています。

絶望的な気持ちになりました。

🌸 申し訳なさと、日誌

預けたことで何かが変わったのか、それも記憶がありません。

残っているのは、申し訳ないという気持ちです。
5年経った今も、それが多い。

きれいにまとめるつもりは、ありません。
「頼れてよかった」と言い切れる日は、まだ来ていないからです。

預けていた3日間、息子がどう過ごしていたのか。
担当者さんが書いてくれた日誌が、家のどこかにあるはずだと思い、探してみました。

見つかりませんでした。

3日間の記録は、もう、どこにも残っていないのかもしれません。

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